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   四万十の清き流れはなほとほし今宵は須崎に宿をとりたり


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■冠水橋

 高知県の須崎に嫁に行っている娘、孫を訪ねました。なかなかこれない四国ですので、四万十川へも行きたいと思っていたのですが、時間がとれず、思いを残したまま帰ってきました。そのときの歌です。

 次回は、大きくなるであろう孫と、四万十川を是非、見にゆきたいと思っています。

  夢に見るあふちの並木のはるけくて須崎に孫とひと日を暮らす
  須崎よりなほ六十キロもへだつといふ四万十川に思ひを残す
  まなかひに浮ぶ四国の冠水橋訪ねるいとま無く帰り来つ
  宿毛より足摺岬とめぐりたる先生のことも思ひ出しぬ

 四万十川では「沈下橋」というそうですが、関東では「冠水橋」といいます。昭和40年頃までは荒川に幾つもありました。今は、久慈川に2つだけ、残っているように思います。

 「沈下橋」という言葉は、四万十川百人一首で知りました。音の並びがよいので、私は、冠水橋を使っています。思い出した先生とは、私の短歌の師、土屋文明先生のことです。

【水彩画】徳広淳也氏(大阪府・中村高校第一期卒業生)

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[プロフィール]
a0050405_5321016.jpg昭和10年 東京都王子区生まれ
昭和35年 東京大学文学部卒業
平成 3年 農水大臣公認森林インストラクター
平成 8年 環境庁長官登録環境カウンセラ-
平成17年 環境保全功労者等環境大臣表彰
  現在 森づくり集団「里ネット」代表、
   趣味の短歌は土屋文明氏の門下

■短歌のこころ

 短歌を作るのに、哲学や美学を持ち込んだといって、賛美し合っている歌人たちがいる。そういう短歌を褒めそやしたり、真似る人達もいる。

 私の短歌には、別段、何も持ち込んだりはしない。強いて言うならば、作品作りに「愚直」を通してきたといってよいと思う。

 私は50歳を過ぎてから短歌を学んだ。短歌を五七五七七と言葉を並べればいいのだろう!と言った理解で手を染めた。

 縁があって、正統派の現代短歌を継承する「アララギ」へ入会し、ここで学んだのである。新米の頃、勉強会にきませんか、と言って大河原惇行さんに声をかけられ、手ほどきを受けた。勉強会では、作品の批評、作品の良否を学び、時に、添削をして頂いた。

 驚いたのは、高等学校の文学史の教科書で学び、記憶していた土屋文明先生が、なお、ご健在で、毎月アララギ東京歌会で会員の指導をなされていたことだ。

 ここでも批評と添削をして頂くことが出来た。短歌のこころは、この東京歌会と上記の勉強会で学んだと言って良い。

 土屋先生は、「平凡な日常生活の中の、平凡ではない部分が歌になるんですよ。」と諭すようにおっしゃられた。忘れることの出来ない貴重な御教えだ。それを信条として私は作歌を続けてきた。そこには、哲学や美学の入りこむ余地などはない。

 今は、余り短歌を作ることはないが、作るときには、土屋先生の御教えを守っているつもりである。平凡な生活の中から、平凡ではなく、きらめくものを見つけて、作品にしているつもりだ。

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[ひとくちメモ]

■四万十川で行われた、バーチャル・シンポジウム『京都議定書と森林問題』

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◆基調講演  講師:大森 孟氏(森林インストラクター) 

 演題 『森林証券制度』 

 ・林野庁への意見
 ・森林証券制度の必要性(1)
 ・森林証券制度の必要性(2)
 ・森林吸収権という大儀名分
 ・森林証券の発行
 ・森林証券の格付け
 ・森林証券(吸収権)の売買

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◆サロン(談話室) ゲスト : 大森 孟氏  

 講話 『農林水産大臣への提言』

 ・大前提は「生物多様性の保全」
 ・森林ボランティア活動は幻想か?
 ・「森をつくる」ことは
 ・森林ボランティア活動の課題
 ・提言

(参考)
 ・管理しない森林は、行政が買い取りを(「放置林重加算税論」に関連して)
 ・放置林重加算税論(西田政雄氏)
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     赤光の川面なでゆく夕つ方四万十川は千の貌に流るる


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■森林の保護

 四万十の森林の保護と云う大役、大変なことと存じます。どうぞ、若い力で、四万十の森の再生に、頑張っていただきたいと存じます。

【写真】岡村龍昇氏

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[プロフィール]

1934年 山口県生れ
1986年 雲珠同人
      大滝貞一氏に師事

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[代表歌鑑賞]    (四万十川短歌大会(第9回・第11回)より)

・中村南ロータリークラブ賞
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・中村南ロータリークラブ賞
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[四万十川秀歌百選/大滝貞一]
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 四万十川での吟行詠。沈下橋をいくつかくぐりぬけて下っていく屋形船は霧雨に包まれているのであるが、その川霧がいつしか周辺の風景をも夕暮れどきの昏迷に誘いこんでいくような感じになった。

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四万十川吟行詠

 吟行詠の同行者の中から秀作を拾う。(大滝)

  山峡に霧立ち昇り夕暮れぬ菜の花おぼろに群れし川畔  (福永住子)
  音もなく寄せくる霧の四万十川山に一本の遅咲き桜  (岡本彩季)
  屋形船勝丸に身をゆだねつつ水碧き四万十川ゆつくりのぼる  (中村キネ)
  花びらも水泡も浮かべ四万十川に旅の一日もうたかたならむ  (山形房枝)
  川霧が巡りの山を包みゆき雨の四万十川を屋形船辷る  (住吉みさ)
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      峰峰に皓き樹氷の連なりて木霊ねむるやかがやきの中


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■四万十川のブナ林

 世界自然遺産の白神山地にあるような、見事なブナ林が、四万十川流域の原生林にあることは、余り知られていません。

 四万十川の支流、黒尊川の源流域の原生林は、ブナを主体とする「夏緑広葉樹林」。

 春には新緑が笑い、夏にはその緑葉がかがやき、秋には錦の紅葉が彩り、冬には樹氷が連なり、その山々には木霊も眠ろうか、という『四万十の森』が続きます。

 黒尊山のブナは、「熊のコル」付近から出現し始め、ピークの三本杭山(1,226m)にかけてが主体となっています。

 黒尊山は若いブナ林から老齢樹のブナ林までが見られるのが特徴。このような森林の状態は、連続してブナ林の更新が自然に行われていることの証であり、黒尊の自然環境が植生にとって、非常に良好であることを示しています。

 又、四万十川黒尊の原生林にあるブナ林は四国のブナ林分布域の最西南部となる点からも、重要な存在です。

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◆皓き樹氷の連なりて・・・

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    【写真】岡村龍昇氏

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[自然遺産]

■黒尊山のブナ林

 沈下橋沈下してゆくさまを見つ今夜は川に抱かれて眠れ
                    (俵 万智・四万十大使)

 四万十大使の俵万智さんが、大雨の時、取材に訪れ、危うく濁流に飲み込まれそうになったという口屋内の沈下橋は今も健在ですが、そのすぐ下流に、赤い欄干の抜水橋があります。

 この橋を始まりとする黒尊スーパー林道は、昭和43年から7年の歳月を費やして森林開発公団(現緑資源公団)により建設されました。当時は林道事業によって四万十川の本流をまたぐ夢の大橋が架かる、ということで、全国的に注目を集めたプロジェクトでした。

 この橋を渡れば、もうそこは、水と岩と森が絶妙に組み合わされた素晴らしい景観が続く、黒尊渓谷です。昔は口屋内から渡し舟で四万十川を渡ると、支流の黒尊川に沿って国有林の森林軌道が走っており、木材、生活資材そして人もオモチャのような機関車が引っ張るトロッコで黒尊い渓谷を往来したそうです・・・[more

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【写真】黒尊山(提供:四万十川森林環境保全ふれあいセンター)
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    四万十の母なる川に棹さして笹舟に似し舟のえび捕る


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■雲の行方を・・・

 往時は高瀬舟というのでしょうか。笹舟によく似た舟が、竹竿を操って、漁をしているのを、よく見かけたものでした。

 四万十川が大好きな私は、休日ともなれば、四万十川へ水石を探しに行くのが楽しみでした。時には中村の愛石会の方々のお仲間入りをして、石拾いに興じたことも、大切な思い出として、心に仕舞っております。

 広い川原で、せせらぎを聴き、雲の行方などを見ていると、心は無垢となり、四万十川のように、おおらかに生きていこう・・・と、いつも、心に誓ったものでした。

 四万十川よ、ありがとう。

【水彩画】徳広淳也氏(大阪府・中村高校第一期卒業生)

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[プロフィール]

大正12年生まれ。
本名、浦田鶴喜。
「宿毛短歌サークル」会員

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[代表歌鑑賞]    (四万十川短歌大会(第15回)より)

 国際ソロプチミスト幡多賞
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[四万十川秀歌百選/大滝貞一]

  四万十に亡夫と拾ひし水石をマスコットとなし独り生きゆく

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 あれはもう何年も前のことになる。まだ健在であった夫と大橋付近で拾った小さな水石。どんな宝石よりも美しい思い出として心に沈め、生きるためのマスコットとして大事にしてきたのである。(大滝)
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    四万十に最後に架かる沈下橋脚逞しく対岸の杜


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■テーマ・沈下橋

四万十市の歌人、市川敦子さんのお招きで、「中村市短歌大会」で「松村英一論」を、お話しました。翌日、ご主人の運転で、四万十川河口や沈下橋を初めて目にしました。

  鯨くる海にまじはる四万十の春の河口の平たくあをし

【水彩画】徳広淳也氏(大阪府・中村高校第一期卒業生)

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[プロフィール]
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昭和19年 群馬県生まれ。
日本歌人クラブ中央幹事
「国民文学」選者、編集人。
歌集『神流川』で第20回日本歌人クラブ賞受賞。
現代歌人協会会員。
歌集『河岸段丘』『冬の稲妻』ほか。
著書『短歌推敲のポイント 』。
現在、埼玉県越谷市在住。
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[代表歌鑑賞]       「現代短歌大事典」より

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  小路来て不意の寂せき年どしの金木犀の数歩のにほひ

■金木犀

通い慣れた小路に、今年の金木犀が匂う。その薫りに年々の秋の記憶がよみがえり、病後でもあった作者は、急に寂寥感を覚えたのだろう。数歩の内に花の咲く辺りも過ぎ、淡い薫りの内に漂っていた寂寥も過ぎる。意識のうえにふと浮上した感慨を巧みにとらえ、瞬時に映像化している。(古谷)

【写真】佐藤直子氏 (ブログ:「のあめも」より)

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[ひとくちメモ]

■国民文学

『私が「国民文学」に入会したのは19歳のときです。千代国一が「国民文学新人会」という若い人のグループを指導していて、そこで短歌の基本を学びました。教わったことは技術としての写生と、態度としての写実です。これは正岡子規から出発した考えです。それを徹底的にたたき込まれました。

 最近、中学校で歌を教える機会がありました。「春の日になんじゃもんじゃに雪がふる白き乙女の宿る如くに」と詠んだ生徒がいた。「僕には乙女は見えない」と反論する生徒がいた。「見える人も見えない人もいる。見えた人は恥ずかしがらずに歌え」と私は言った。

 他人から変だと言われるのを恐れて他人と同じ歌を作ったら、才能がだめになる。恐がらず遠慮せず表現する。歌は勇気の産物なのです。(御供)』

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[四万十川秀歌百選/大滝貞一]

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 川獺は水辺に棲む食肉目の獣。水をくぐり魚、蛙、蟹などを捕食する特別天然記念物。川の多い日本ではどこにも棲息し、捕った魚を岸に並べる習性から、中国古来の俗説に先祖の祭りをしているのだとされた愛嬌者も、今では絶滅の危機にあり、ここ四万十川にしか生息していないのではと注目を集める。清流の岸辺に立つと、なるほど川獺はここにしか居そうにないなと思えてくる。(大滝)
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        四万十川跨ぎ千余の鯉幟五月の空に銀鱗は舞ふ


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■四万十川の風物詩]

 「こどもたちの望みをかなえてやりたい」・・・そんな気持ちで始まりました。「こいのぼりの川渡し」は、たくさんの人々の協力によって、国境を越え、交流の輪を世界へと広げています。

 山が新緑に染まる4月~5月、四万十川では、色とりどりの鯉のぼりが、川面を渡る風をうけて悠然と泳ぐ姿を見ることができます。その数500匹余り、この季節は県内はもとより県外からもたくさんの観光客が訪れます。

  四万十川鏡のごとし穏しき日は山や浮雲水面に映す(黒川輝代)

【写真】岡村龍昇氏

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[ひとくちメモ]

■ナイアガラ川の「こいのぼりの川渡し」

 ナイアガラ川に実現した「こいのぼりの川渡し」。ナイアガラ瀑布の6㎞程下流に渡す作業は、流れの穏やかな四万十川と違い、流速約30㎞/h、川幅も約260mあり、難航した。しかし、国境を越えて泳ぐその雄姿は多くの人々を魅了し、大好評だった 。

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[文化遺産]

■鯉のぼりの川渡し

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 この「鯉のぼりの川渡し」は、昭和48年ソフトボールをしていた少年たちのこんな言葉から始まる・・・

 『最近は僕らぁが、大きくなったき、家で鯉のぼりを上げてくれん・・・』

 こんな会話を聞いた、当時の体育会のお兄さんたちは、「よっしゃ。それやったら、おまんらあの鯉のぼりを、持ってこい!おれらあが、まとめて上げちゃうき!」 と、翌昭和49年に50匹程の鯉のぼりを、ロープを使いながら、四万十川の上になんとか渡した。

 そんな、体育会のお兄さんから子供達への、心のこもったプレゼントが「鯉のぼりの川渡し」の始まりである。

 十川体育会のメンバーは、20年以上もの間、この子供たちとの約束を守り続け、毎年忘れることなく鯉のぼりを四万十川にかけ続けている。(当時の子供達は、すっかりおじさんになってしまったのだが・・・)

 その後、この取り組みはマスコミ等で取り上げられ、全国各地から鯉のぼりが送られてくるようになる。

 平成9年には、ナイアガラの滝で鯉のぼりを泳がせるという壮大な計画が実行されました。国際交流として2年間十和に赴任していたアメリカ人の方の提案に十和体育会のメンバーが賛同して実現したものです。地元のボランティアにより、川幅260メートルのナイアガラ川に200匹の鯉のぼりを泳がせることに成功しました。(「四万十町ホームページ」より)
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