<   2009年 08月 ( 22 )   > この月の画像一覧

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    携帯電話に指示を仰ぎて操舵手は緑の深き上流を指す


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■四万十川への旅

 この作品が縁で、私は四万十川へ、二度の旅をすることになりました。

 最初は、平成7年10月初旬のことでした。その折は、足摺岬に一泊しましたが、2回目は中村市内のホテルにゆっくりいたしました。

 最初に訪れた折、遊覧船を操作した青年が、無線電話で頻りに指示を仰いでいるらしい様子がとても印象に残ったのがきっかけで成ったのが、この作品です。

 時代感覚から、携帯電話としてみたら、ぴったりの感じになりました。

 今でも、四万十川のゆるやかな流れ、岸辺に立つ白鷺の姿が目に焼き付いております。

 日本最後の清流と言われる四万十川が、今後とも沿岸漁民の生活を潤し、美味しい焼酎などを楽しませてくれ、人々の心に安らぎを与えてくれる自然を保てますよう切に願っております。

 四万十市誕生を祝して、

  緩やかに流れて清き川の名が街を産みたり四万十川(しまんと)は母だ

 と言わせてください。

【写真】岡村龍昇氏

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[プロフィール]

『私は永く高校教育に関わり、青森県総合学校教育センター所長で退任し、現在は非常勤で、青森中央学院大学講師をしております。「未来短歌会」「星座の会」「波涛青森」に所属し、第一歌集「迷い猫プリン」(砂子屋書房)があります。

 この20年来、青森県ユネスコ協会の活動に携わり、世界自然遺産の白神山地登録の際には、パリ本部まで応援に加わったりしました。

 皆さんが、大切にしておられる四万十川の自然と文化が広く高い評価を受けられますようにと念じております。お役に立てれば幸いです。(平井)』
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    産卵の四万十川は青澄みてウグイの群れは殺気みなぎる


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■すべて美しい四万十川と共に

 美しい大自然資源の宝庫四万十川、人の心を癒し、心を洗い、新しい命を生み育てゆく素晴らしい上流から、下流への景観は、筆舌に尽くし難く澄み渡る川の流れは、時を忘れさせます。

 川底には青のりが揺れ、ウグイの群れや鮎の群れが競い、のどかな水面には網打つ小船が浮かび、産卵の季節には生命を育む魚のはげしい営みが、くりひろげられています。

 太陽の燦燦とふりそそぐ森と水、生きとし生けるもの、すべて美しい四万十川と共に、守り残してゆきたいと思います。

 また、今年も短歌を詠み、ぜひ四万十川に行きたいと思います。

【水彩画】徳広淳也氏(大阪府・中村高校第一期卒業生)

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[プロフィール]

 田園の風に親しみ、田畑を耕して半世紀。今ではわずかに家庭の菜園を楽しみ、短歌と戯れている81歳の、私でございます。

『このたびは、四万十川百人一首の件、色々とお世話いただき、誠にありがたく、感謝いたしております。どうぞ、お身体をご大切に、ご活躍、ご健闘を蔭ながらお祈り申し上げております。(山崎)』

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[代表歌鑑賞]    (四万十川短歌大会(第9回)より)

 中村ロータリークラブ賞
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      水底を小石にとどく光ゆれ四万十川瀬鮎のぼりゆく


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■大切な川

 中村市(現四万十市)安並に生まれ、育ちましたが、若き日は、他郷で生活する日が多く、老いて主人と共に、故郷に帰り、四万十川の川風に、蛍飛び交う夏夜の景に、幼き日を思い出しています。大切に育ててくれた父母ですが、とくに私は祖父にかわいがれれた思い出がたくさんあります。

 その中でも、投網が趣味の、祖父に連れられて、四万十川の川原でのビク持ちの役目でした。その頃は、まだ小ボラがたくさんいて、網にかかった小ボラをはずして投げてくるのを、おっかなびっくりで掴んだことが、思い出されます。

 獲りたての小ボラで「ボラ寿し」を母が作ってくだされ、楽しい夕餉のことなど、四万十川は私にとって、米寿のこの歳になっても、昨日のように思われる大切な川です。

【写真】岡村龍昇氏

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[プロフィール]

 大正6年3月生まれ。
 高知県中村市(四万十市)安並。
 本名利枝。
 「あら草」「高知短歌芸術」

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[代表歌鑑賞]
 
  四万十の流れに佇ちし吾が影の光にゆれて鮴よぎりゆく

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『四万十川秀歌百選(大滝貞一選)に選ばれた、この歌は四万十川の河川敷で亡き主人のゲートボールの大会を応援に行ったとき、一刻を川に入り歌ったものです。

 主人への思い出にもつながり、今、詠んでも、胸せまる思いがいたします。(岡林)』

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[四万十川秀歌百選/大滝貞一]

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 この清流の渕に立っている自分の影の先を、鮴が光つつよぎってゆくのが透けて見える。

 癌告知を受けて、半年の余命を告げられた夫が、河川敷にて嬉々として、ゲートボールに興じる姿を見ての感慨とか。(大滝)
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    山ふかく数里のあひだ人に会わず聴こゆるはただ風の音のみ


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■山間の静寂

 四万十川の源流に近い、重々たる山間は、人が入るのを拒むほどの深山幽谷が続きます。

 もう随分と流れに逆らって上って行くのだが、この数里の間に人には会わず、ただ、川風の音が聞こえてくるのみ・・・

 山間の静寂さの中に、黙々と四万十川源流を訪ねる歌人の姿があります。

 【写真】西内燦夫氏(四万十川新聞社)

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[プロフィール]

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【写真】新神賀橋から見た猪野々

明治19年10月東京生まれ。
明治38年、肋膜炎を病み歌作を始める。
        与謝野鉄幹・晶子の新詩社に参加。
明治41年、北原白秋、木下杢太郎らと新詩社を脱退し「パンの会」創立。
明治42年、石川啄木らと「スバル」創刊。戯曲にも手を染める。
明治43年、処女歌集『酒ほがひ』を上梓。

a0050405_5553319.jpg 歌集『酒ほがひ』の「ほがひ」は、「寿ぐ」意で、『酒を寿ぐ』ということから、さしずめ、酒をこよなく愛した吉井勇らしく「酒礼讃」というところであろうが、「ほがひびと」といえば乞食のこと、だから「酒乞食」ともなるが、これは吉井勇独特の洒落。

 初めて土佐を訪れたのは昭和6年。この時、生涯の酒友、伊野部恒吉(「瀧嵐」の醸造主で、勇は伊野部恒吉を「酒麻呂」と呼んでいた。)と知己になり、後に香北町猪野々に草庵をつくり「渓鬼荘」と名づけ、土佐隠棲の志をもつ契機となりました。

 昭和8年様々な事情から、爵位を返上、離婚を決意し、翌年失意のうちに東京を離れ土佐に入る。それから4年間、土佐の地にいて「酒と短歌」の生活に明け暮れました。

 土佐では、東は室戸岬、西は足摺岬、沖ノ島まで行雲流水の旅、歌行脚、酒行脚に出かけて、その地の地酒、どぶろくを堪能、数多くの「ご当地歌」を創作しています。

 吉井勇の「四万十川百人一首」は、昭和32年5月に、高知から伊予の松山に行く途中、四万十川源流のひとつ、梼原町四万川を訪れた時の歌です。

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[ひとくちメモ]

■四万十川源流と「龍馬脱藩の道」

 吉井勇が訪れたのは、現在、源流とされている「不入山」ではなく、もうひとつの源流、梼原町の「四万川」です。

 四万十川の源流は、現在源流点とされている「中村川」(津野町船戸)、裏源流といわれている「北川川」(津野町郷)、それに四万十川の由来を意味する「四万川」(梼原町四万川)が、長らく「源流点争い」をしましたが、川の延長、ダムの有無が決め手となり、今の源流点が決まったとされています。

 ちなみに、梼原町四万川の源流付近には「龍馬脱藩の道」があります。文久2年3月24日、28歳の龍馬が四万十川の源流から伊予へ抜け、世界へとはばたいていきました。

 さらに、坂本龍馬と四万十川との関わりでは、嘉永3年、16歳の若き龍馬が、四万十川の河川改修工事で幡多の中村に来ています。そのとき、後の龍馬の行動を決定づけた「人・物・資金」を動かすこと(「働く」ということ)を学んだと云われています。

竜馬が四万十川にゆく (バーチャル[四万十川博物館])

a0050405_5561699.jpg そいういうことから、四万十川は『龍馬飛騰』の地として、今でも多くの龍馬フアンが訪れています。

 また、吉井勇が熱烈な「龍馬ファン」のことは、よく知られているところ。
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 何故、吉井勇は、人影もない深山幽谷が続く、四万十川の源流まで旅したのでしょうか?

 このことについては、文献にも見当たりませんが、おそらく梼原町四万川の中越家、中平家など地元の名士の家に招かれたものと思われます。しかし、なぜに、四万十川源流なのか?・・・、と云うと、ここに「龍馬脱藩の道」があることを知っていたからかもしれません。

 山にある山のいのちを感じつつ身も引きしまり幾山超え来
 梼原に車を停めて食うべたる弁当の昆布うまかりしかな

 吉井勇の祖父は吉井幸輔(友実)、鹿児島出身で、西郷隆盛と親しかったと云います。坂本龍馬と西郷隆盛を引き合わせたのは吉井幸輔と云われています。

a0050405_5512544.jpg また、池田屋事件のあと、龍馬は「お竜」を連れて、日本で最初の新婚旅行に鹿児島の霧島へ行ったエピソードは有名ですが、そのときに鹿児島で何かと面倒を見たのが吉井幸輔です。
【写真】龍馬新婚旅行の碑

 そのような事から、吉井勇は坂本龍馬のことを、幼少の時から祖父に聞かされ、尊敬とともに親近感を持っていた、と思われます。東京で身も心も疲れ果てたとき、縁もゆかりもない土佐へ居寓する心境になったのは、「土佐は坂本龍馬のふるさと・・・」という事があったのかもしれません。

 吉井勇が、「なぜ?四万十川源流への旅を・・・」の謎解きも、そのあたりにヒントがあるような気がします。吉井勇の歌碑は、高知県に9基(他に猪野々に15基)ありますが、四万十川源流の梼原にはありません。

 吉井勇は、坂本龍馬の歌を沢山詠んでいます。そのひとつ。

 新しき龍馬出でよと叫ぶごと一万の紙おのづから鳴る

(「一万の紙・・・」とは、高知新聞1万号の発行記念を祝しての祝歌です。)

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【写真】吉井勇記念館 (香北町猪野々)

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[歌碑]

■吉井 勇歌碑(高知県内)

a0050405_15472156.jpg〔猪野沢温泉(香北町猪々野)〕

  寂しければ御在所山の山桜
     咲く日もいとゝ待たれぬるかな

〔最御崎寺(室戸市室戸岬)〕

  空海をたのみまゐらすこころもて
     はるばる土佐の國へ来にけり

〔龍河洞(土佐山田町逆川)〕

  絶え間なく石したたりてあるほどに
     百千劫はいつか経にけむ

〔筆山(高知市)〕

  つるぎたち土佐に来たりぬふるさとを
     はじめてここに見たるここちに

〔伊野部昌一氏邸(高知市)〕

  友いまだ生きてかあらむここちして
     土佐路恋しく吾は来にけり

〔桂浜(高知市)〕

  大土佐の海を見むとてうつらうつら
     桂の濱にわれは来にけり

〔沖の島(宿毛市母島港)〕

  沖の島なつかしければあら海も
     ものかはと越す旅人われは

a0050405_1931641.jpg〔叶崎(土佐清水市足摺岬大津)〕

  土佐ぶみにまづしるすらくこの日われ
     うれしきかもよ叶崎見つ

      (小谷貞広氏と大滝貞一氏)

〔伊野部純吉氏邸(高知市)〕

  瀧嵐そっと入り来たりものをいふ
     しの門口のうつ木おもほゆ

 なお、傷心で土佐にやってきた吉井勇が「猪野々に住むことによって人間修行ができました。里人の人情で立ち直ることができました」と後に著書(「渓鬼荘雑記」)に記しているように、吉井勇が愛してやまなかった猪野々地区の人々により、平成6年から15年にかけて、勇が歩いたであろう猪野々小学校や郵便局、明法寺などの道沿いに、歌碑が15基立てられています。そのうちの、ひとつ。

〔猪野々小学校(香北町奈路下)〕
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  韮生路の秋深くしてさむさむと
     山風そふく河風そふく
 
(この歌は、吉井勇が親しくしていた当時猪野々小学校の校長先生に贈ったものと云われています。その色紙は長い間、同小学校に保存されていましたが、現在は廃校になり、立派な校舎【写真】も壊され、その所在は不明です。)

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[代表歌鑑賞]    (「現代短歌大事典」より)

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 空海をたのみまゐらす心もてはるばる土佐の国に来にけり

 歌集「人間経」の一首。人生の危機を凝視した歌集「人間経」は、勇の代表歌集である。33年、伊予、土佐へ旅し、35年には土佐の山峡猪野々に草庵を結んで「渓鬼荘」と名づけ、37年まで滞留した。讃岐の国は弘法大師空海の生まれた国である。表題歌の歌柄の伸びやかさは、「空海をたのみまゐらす心」によって生まれてきたものである。

【写真】「渓鬼荘」(香北町猪野々)
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    午前四時まだ明けやらぬ四万十川か月の光を幽かに映す


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■四万十川の月の情景

 四万十川俳句大会に、主人が賞をいただき、中村市を訪れました。市内のホテルに宿り、川下りをして、朝早く眼がさめたとき、四万十川の月の情景を歌いました。

 5月の夜の明けに、みんなみの空から、白い月が・・・。ゆるやかな清流の四万十川の水面に、淡い月の、その影が浮かび、我が両手に掬いたいほどでした。

 人は皆、川の流れのような人生でしょうか!!静かで、安らぐ心を持って、生きていきたいと、思っております。

【写真】岡村龍昇氏

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[プロフィール]

『私が短歌を始めましたのは、母(澤井定子)が、歌集「重信川」を出版したとき、ふるさとの川の歌に人生を重ね合わせ、感動しまして・・・。今、私も自由ができましたので、遅ればせながら50歳をすぎて始めました。(田中)』

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[文化遺産]

■四万十川の愛唱歌

川の流れのように

 川の流れのように ゆるやかに
 いくつも 時代は過ぎて
 川の流れのように とめどなく
 空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ
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      山々の清水束ねて四万十は悠々青く海に誘なう


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■清流は心のふるさと

 恵まれた自然のままに、山々から湧き出る清水が、本流にまとまり、清澄さを保ちながら、四万十川となり、青い集団となって大海に注ぐ有様を、はじめて拝見した時、「実に美しく雄大」のほかに、言葉を失いました。

 この素晴らしい自然を今日まで維持されたのは、他ならぬ、人間と自然との調和を大切にされてきた川沿いに住まわれる皆様方のご努力の成果だと思います。

 どうか、今後とも「清流は心のふるさと」として、微力ながら応援を惜しみませんので、世界遺産になるよう、一層の頑張りを期待してやみません。

【水彩画】徳広淳也氏(大阪府・中村高校第一期卒業生)

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[プロフィール]

 昭和 8年 宮城県生まれ
 昭和27年 伊具農蚕高等学校卒業
 平成 5年 いすヾ自動車(株)定年退職
 平成 6年 短歌の通信教育受講
         長沢美津氏に師事

 『現在は横浜市在住。悠悠自適、晴耕雨読。60坪の菜園と旅の短歌紀行を中心に、妻と二人生活を過ごしております。(阿部)』

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川の流れのように

 知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道
 振り返れば 遥か遠く 故郷(ふるさと)が見える
 でこぼこ道や 曲がりくねった道
 地図さえない それもまた人生

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[代表歌鑑賞]    (四万十川短歌大会(第15回、第19回)より)

・四万十市長賞
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・土佐くろしお鉄道賞
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    ざるそばの盛りに青海苔振りかけて四万十川の恵みを啜る


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■青海苔

 寒風にさらされて青海苔を漁る、川漁師さんの姿を見ますと、今年も四万十川がきれいで、青海苔が育っていることに安心します。台風などの増水で、沈下橋が濁流につかると、とても心配になるのです。

 四万十川の海苔をふりかけて啜る、ざるそば、とろろ汁、てんぷら、おろし大根餅などの風味の美味なること。四万十川の恵みをいただく時、ほんとのふる里回帰の気持ちになれます。

 四万十川がもっともっと清流でありますように!永遠に母なる大河でありますように、望んでいます。

【写真】岡村龍昇氏

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[プロフィール]

南国市植野在住
明寿会(久礼田地区)会長
高知アララギ、短歌21世紀

 『四万十川百人一首につきましては本当に、ご苦労をおかけ致しました。私も歌誌や歌集の校正等をさせていただいてますので、お心づかいがよく解ります。

 過日には、1日遍路で、幡多方面の札所、第38番金剛福寺、第39番延光寺、第40番の観自在寺の三ケ寺を巡り、バスでの長旅ではありましたが、無事に土佐の修行地を打ち終えました。

 途中、四万十川の畔を通り、氾濫した時のことを思い起こし、青海苔は大丈夫かしら・・・と気になりました。(前川)』

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 第38番札所金剛福寺

【水彩画】徳広淳也氏(大阪府・中村高校第一期卒業生)

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[代表歌鑑賞]    「高知アララギ(2009・12)」より

  タックンは声はりあげて日々訪ひぬ「おばちゃん遊ぼう」の朝の挨拶

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[自然遺産]

■汽水域に自生・・・
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 青のりは、様々な自然の条件がバランス良く維持されている清らかな河川でしか生育しないことから、清流四万十川の天然スジアオノリは、まさしく正真正銘のブランド「四万十ノリ」として特に有名です。塩分が比較的低い汽水域に自生しており、冬の一番寒い時期に川底から丹念に採取され、河川敷に縄を張って天日干しにされます。乾燥過程も重要で、南国の太陽と上流から吹き下ろす寒風によって、香りや旨みがより深まるといわれています。このアオノリ漁や干場の光景は郷愁を誘う四万十の冬の風物詩となっています。(「加用物産」ホームページより)
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    岸のべの松は伐られて過ぎし日の面影くらきふるさとの川


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■望郷

 幼い頃の記憶の中には、四万十川の岸辺には松が植えられていたのに、その松も伐り倒されて、遠い昔の印象が暗く沈んで何となく殺風景になってしまった。

 久しく離れていた故郷は、やさしく、美しいものばかりではなかった。やはり、故郷は遠きにありて、想うものでしょうか・・・。

【写真】大正15年建設当時の赤鉄橋。具同側の堤防には松林が見られます。地元では、松並木ではなく「並松」と呼んでいたそうです。(郷土史家:沢田勝行氏談、写真提供)

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[プロフィール]

 明治18年1月宿毛市生まれ。本名浜あさ子。旧姓は川島朝野。明治39年上京、中国派遣教員養成所などで、国文学、北京語を学ぶ。大正2年に同郷の橋田東声と結婚し、「橋田あさ子」「橋田ゆみえ」のペンネームで歌を発表している。代表歌は「平城山(ならやま)」。

 「北見志保子」という名前は、大正14年に創刊した女流歌誌「草の実」時代から使用している。名前のいわれを、本人が同郷の歌人「国見純生」に語ったところによると、玄関に印刷屋が待っている間に即座に作ったものだそうで、たまたま台所に、北海道の北見から届いた塩鮭があったので思いついた・・・というから面白い。

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 山川よ野よあたたかきふるさとよこゑあげて泣かむ長かりしかな

 大正11年、東声と離婚。別離して奈良に滞在。このときに、後に平井康三郎によって作曲されて有名になった、北見志保子の代表歌「平城山(ならやま)」が生まれています。

a0050405_6362583.jpg フランス留学中の12歳年下の恋人を、はるかに思う気持ちを、平城山の故事に託して歌ったものです。『人を恋い慕う子持ちのどうにもならない悲しさは、平城山あたりを廻り歩いて堪えがたかった』と後に表白、そのときの心情を語っています。

『新しい女などと、お思い下さいますな。私は新しくはないので御座います。唯、「真理に生きたい」と思ふだけで、こんな冒険をしたのですから・・・』

 しかし一方では、この歌は、昭和9年11月母の七回忌で宿毛に帰る途中、奈良に立ち寄って作り、中村(現四万十市)で開かれた歌会で披露された、ということも云われています。

 披露した時期はともかく、やはり、この歌は離婚直後の奈良で、既に北見志保子の心の中には生まれていた、というのが自然の流れのような気がします。

 人恋ふはかなしきものと平城山にもとほりきつつ堪へがたかりき

平城山

 1934年(S.9)北見志保子の短歌に、翌年、平井康三郎(いの町出身)が曲を付けたものです。「もとおる」の意味は「廻(メグ)る」とか「徘徊する」です。

 古(イニシエ)も 夫(ツマ)に恋いつつ越えしとう平城山の路に涙落としぬ

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 大正14年、東声の弟子であった12歳年下の恋人「浜忠次郎(のちの千代田生命社長)」と再婚。昭和30年5月、70歳で没するまで、近代女流歌人の草分けとして歌壇生活を送りました。墓は浜忠次郎の故郷、信州諏訪湖の畔にあるという。

 第三歌集「珊瑚」は、ふるさと宿毛に近い月灘で採れた桃色サンゴを懐かしんで命名されたといいます。

 桃色は歌人にとって、不思議な色相の世界という。大方の歌人の命終に近い日の歌には、桃色、赤色、などが見えてくる、と言われています。夕陽は、あでやかな赤色に染まりますが、寂びしくて、哀しい色相です。

 北見志保子の絶詠5首が「花宴」に納められています。冒頭の一首は、死の数日前に見た夢の中の情景を、そばにいた友達に語り、それが歌になったもの。死の予兆を感じさせる心境、遺詠というのにふさわしい歌です。激動の人生をおくった女流歌人のまさに、絶唱。

  開かれし永劫の門を入らむとし植ゑし緋桃をふと思ひたり

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  真理に生きたい・・・

【写真】佐藤直子氏

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[ひとくちメモ]

■北見志保子と平井康三郎

作詞・作曲の組み合わせで、高知県下の幾つかの学校の校歌を作っています。

◆土佐女子中高校

 オレンジの花咲く国に
 誉れも高き学び舎に
 集う乙女の春秋の・・・

◆窪川高校

 山野に燃ゆる草若葉
 夢こそ育て春がすみ・・・

◆中村中学校

 三年の月日 ひたすら学ぶ
 誇りは永き 四万十や
 川にさばしる 鮎のごと
 かぎりを知らぬ すがしさを・・・
 
◆清水中学校

 海あり南に太平洋 
 北には四国の山おいて
 学びを誓う三年の 
 希望は自治の精神ぞ・・・

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[代表歌鑑賞]     (「現代短歌事典」より)

 何事も忘れてゆかむ頂きにつづきてしろき山はらのみち

 23年、橋田東声と離婚。ひたすら新生への希いをこめて高野山に登ってゆく時の歌で、迷悟の跡がうかがわれる。(市川)

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【写真】小谷貞広歌集「うたかた」

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[歌碑]

a0050405_6532418.jpg 〔宿毛小学校(宿毛市)〕

  山川よ野よあたたかきふるさとよ

    こゑあげて泣かむ長かりしかな


 〔宿毛公園(宿毛市)〕

  やまもものいろづくころとなりにけり

      よみがへりにし遠きおもひの

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[文化遺産]

■赤鉄橋
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◆堤防の松林は伐られている・・・。この松林は、若き坂本龍馬が四万十川改修工事の監督として四万十川を訪れたとき、昼寝をした場所として知られている。

【水彩画】徳広淳也氏(大阪府・中村高校第一期卒業生)
 『先日の小生の個展(「幡多路をめぐる旅の風景:徳広淳也水彩画展」17.10.24-29/ヨンデンプラザ中村・四万十市)、皆様のバックアップもあって、来客数が340人と、期待以上でした。ありがとうございました。お約束の四万十川の絵の写真をお送りします。貴兄の四万十川百人一首企画のお役に立てば幸いです。(徳広)』

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[コラム] 高知新聞

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     四万十の川の流れに逆らって泳ぐ真紅の魚になりたい


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■四万十川を見てみたい・・・

 大滝貞一先生が「いづれにせよ、詩歌に四万十川が登場する場合、土着の人の眼は、おのずと四季折々の風土性に立脚した、一種の普遍的現実描写が中心になるのに対して、旅行者の眼は一過性の瞬間把握に頼った感覚描写が基盤になる。」とコメントされています。

 私のこの歌は、そのどちらにも属さない、想像歌、あるいは願望歌などと言えば、うなずいていただけるでしょうか。

 というのは、私は、まだ、その美しい四万十川を一度もこの目で見てはいないので、このように詠む以外、他に方法がなかったのです。

【水彩画】徳広淳也氏(大阪府・中村高校第一期卒業生)

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[プロフィール]

 『平成元年に、介護婦として職を得た私も、いよいよ退職の年を迎えました。

 これからは、たっぷりと時間がありますので、あこがれの四万十川をはじめ四国、九州、など旅行をしたいと思っています。

 そして、大滝先生のおっしゃる「旅行者の眼の感覚描写」と、とらえて頂ける一首を生み出したい、と思っています。

 今は、まだ、まぼろしでしかない美しい四万十川の清流に、19年間の介護職に疲れた両手を浸しながら・・・。(工藤)』
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[自然遺産]

■アカメ
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 アカメの住んでいる場所は、地元民なら誰でもが知っている。そして…それを秘密にはしない。なぜなら…アカメとは「まずくて食えない!」からである。「獲っても仕方ない!」と思っているから、場所は秘密事項ではないのである。むしろ「大型の肉食魚は、高価な小型魚の敵」だと信じている節がある。

 田舎の人は「食えない殺生」は罪だと思っている。都会の人は「食べもしないのに、スポーツ感覚でアカメを狙う!」失礼な奴らである。(「四万十川新聞」より)

【写真】「アカメを守ろう」ジャンパー(四万十川自然再生協議会)

 このジャンパーの漫画は、高知新聞社版:短歌集『こころのうた 四万十川百人一首』の表紙を飾った矢口高雄氏の「四万十川のアカメ」シリーズ(講談社)のひとつです。

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 四万十川と後川の出合ふ渕碧し巨大魚アカメの潜みいるといふ(木戸三亀子/四万十市)
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    音もなく流るる川面暮れなづみなべてを容るる色やはらかし


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■四万十川の春・夏・秋・冬・・・

 夫が、土佐清水市益野(ましの)にある教会の教会長として、平成元年から15年まで、単身赴任いたしまして、私も、その関係で13年間余り、月々教会の月次祭を中心に、約一週間の予定で、東京から通いつづけました。

 従って、中村駅からバスで四万十川を渡り、あの堤防ぞいの道を、毎回通りました。その往還に生まれた歌です。

 四万十川の春・夏・秋・冬・・・、晴れた日、曇った日の四万十川、また日暮れの川、早朝の川、そして、沈下橋も沢山見たり渡ったり。

 旅は大変でしたが、これまで見知らぬ川にあい、海にあい、人の情にあい、人生の終わりの頃になって、いい思い出を沢山つくることができました。

 その旅に生まれた、四万十川に関わる歌を、第2歌集「見残し岬」より抄出いたしました。

【写真】岡村龍昇氏

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[プロフィール]

 ・大正14年生まれ。主婦。
 ・氷原短歌会同人、日本歌人クラブ会員
 ・歌集『靄ながるる』『見残し岬』

 『生まれは、香川県の金毘羅さんのお山の裏側の山村です。平成の町村大合併により、市と称されておりますが、まだ昔の面影と大して変わらぬ故郷の村を訪れると、ほっと致します。

 それにもまして、美しい自然のままの四万十川。カワウソの見られぬのは残念ですが、何時までも、この山河が残ってほしいと念じております。

 この一首のご縁により、ご当地の歌人、小谷貞広氏を知り、一度お目にかかったことがあり、氏の歌集「蜩亭」をいただいております。「学童の渡し」の歌碑にも会うことが出来ました。

 元気なうちに今一度、四万十河畔に立ちたいと思っております。

 四万十川百人一首をインターネットに掲載するとのこと、ご苦労が多いことと存じます。歳を重ねて、何のお役にもたてませんが、遠くより心で応援させていただきます。

 インターネットの「四万十川百人一首」、子供が帰省の折に家のパソコンで拝見しようと、楽しみにしております。(多田)』

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[歌集]

■多田美津子歌集「見残し岬」
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 人間至る処青山あり、とか。

 鉄道も届かぬ過疎地、高知県土佐清水市益野の里ですが、人情厚く、自然が色濃く残っており、特に四季を通して海の景観、夜空の月、満天の星と目をみはるものばかりでございます。

 この益野に年を重ね、回を重ねて、月々、東京から益野への往還の一人旅を続けていますうちに、自然に生まれた歌を拾い集め、この集を編みました。土佐中村の四万十川では、たくさんの歌を作りました。(10.9.30)

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【写真】川霧たつ四万十川・六月早朝(歌集「見残し岬」より)

  四万十川(しまんと)の土手の茅花に光る風遊ぶ幼の髪吹き分くる
  深々とよどむ碧水底見えず獺出さうな沈下橋渡る
  雨けぶる初冬の川面の細小舟動くともなし一つ影置き
  夫の守る益野の教会まだ遠し四万十川暮れて灯の滲み初む
  往還に清流渡るわが旅の終りを知るや州の孤つ鷺
  川えびの紅浮かぶ「ごりうどん」啜りつつ眺む四万十川の雨
  刑死せし本名「幸徳伝次郎」故郷に眠りをり親族と共に
  歳月に忘れ去らるる一つ事件鎮めて四万十川ゆたけく流る
  大逆罪ありし昔の世のあはれ知るや知らずや翔ぶ鳶の群

             (歌集「見残し岬」より)

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   足摺岬

【水彩画】徳広淳也氏(中村高校第一期卒業生)

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[ひとくちメモ]

■四万十川短歌大会(第4回)

 中村市長賞
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[四万十川秀歌百選/大滝貞一]
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 昨夜来の雨が止んだ今朝の四万十川。川全体が靄に包まれている中、薄墨を一刷毛はいたように中州が朧にかすんで見える。下流遊覧船発着所近くでの日本画のような把握。(大滝)
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