第97首 篠田福美 (四万十市)

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  楝咲く頃と尋ねし四万十川の岸辺の木むらまさに咲きをり


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■せんだん

 「せんだん(栴檀)」は標準和名です。「おうち」は土佐の方言では なくて古語。昔、和歌などに使われていた表現(雅語)です。「おうち」は「楝」、「樗」と表記。

 かって、この木は四万十川中流域の窪川町(現四万十町)からずっと西土佐村(現四万十市)の江川崎まで四万十川沿いの街道に植えられていました。何のために植えられたのかは、旅人の休憩用(緑陰)のためとか、里程標代わりとか、諸説があります。

 その昔、四万十川沿いのせんだん並木を往来した旅人は、山脇哲臣氏が語っているとおり、「せんだん」の花の下を吹き抜ける風は、どこから吹いてきて、いずこまでゆくのか・・・、川面にこぼれた花粒はどこまで流れてゆくのか・・・、と思いながら、歩き続けたのでしょうか。

 「せんだん」は、春に紫色の花が咲くのですが、とても良い匂いがします。だから和歌にも詠われたものと思います。

 今は、切られて少なくなりましたが、学校の校庭には、せんだんの大木がよくありました。

【写真】溝渕幸三氏(四万十川のせんだん並木)

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[プロフィール]

大正14年南国市生まれ。
「海風」会員。

(今は亡き、母の短歌を、掲載していただき、ありがとうございました。母も、喜んでいることと思います。藤本さより氏/篠田福美氏の娘)

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[ひとくちメモ]

■土佐の国の「せんだん」

 土佐では、全ての道路に旅人のため、「せんだん」を植えていました。富田砕花は土佐路の印象を

  こごしかる北山越しに来し国の並木の道はせんだんの花

 と詠っています。

 小学校の校庭、街道並木に代表される土佐の国の「せんだん」。この花の風土の中で生まれ育った土佐の人々は「せんだん」に特別な愛着を懐いています。

 高知城の天守閣への登り口、板垣退助の銅像の脇に「せんだん」の大木があります。枝の広がりは、東へ15m、西へ4m、南へ9m、北へ8m、という。「せんだん」の巨木が多い土佐の国でも特に大きく、土佐の国の象徴とも言える「巨樹」です。

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[せんだん物語] 山脇哲臣氏著:「花想」より

■せんだん並木
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   もしも吾五月の風となるならばせんだんの花こぼしつつ吹く

 センダンの果てることもない並木を、どこまでも歩き続けてゆくときは、わが身の周囲は目くるめく紫の花のさく裂ばかり。

 足はいつしか宙を踏んで、花の階段を上ってゆくとき、そんな花のさく裂の中で、人の現身(うつしみ)と、その想いは、花のさく裂とともに空中に散華し、やがて消え果ててしまうものだろうか。

 それにしても、センダンの花の下を吹き抜ける風は、どこから吹いてきて、いずこまでゆくのだろう。川面にこぼれた花粒は、どこまで流れてゆくのだろう。花の色の紫に染められた人の想いの果ては、どうなるのであろう。

【写真】岡村龍昇氏

◆小谷貞広氏の「ふるさと・小学校のせんだん

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[四万十川秀歌百選/大滝貞一]
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   四万十川の沖積土らしき豊饒土の岸近くまで秋菜播かれつ

 沖積土は河水が運搬して、しだいに沈積してできた土壌で肥沃である。その川岸近くまで秋菜が播かれていてよく実っている。つやつやした秋菜の柔らかい葉ぶりが見えてくるような風景がひらける。川は遠い昔から時間をかけて豊饒な実りを、そこに住む人たちに与えてきたのであった。(大滝)

【写真】武吉孝夫氏(「四万十川秀歌百選」より)
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