第59首 石川恭子 (東京都)

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   四万十の青き河水手に掬ふこの清流のとこしなへなれ


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■朝の鶯

 まだ春浅い日の明け方、毎年きまって鶯の声が聞える。わずか一週間足らずでその声も聞えなくなってしまうが、その春の訪問れの声を今年も喜んだ。

 年々自然が少なくなってゆく都市で、生きてゆく生物たちの生命を愛しく思う。朝の鶯の声のように無心な歌でありたいと希いつつ、まだ遠く及ばないことを恥じている。

【水彩画】徳広淳也氏(大阪府・中村高校第一期卒業生)

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[プロフィール]

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 昭和3年 東京日本橋区生まれ。
 「個性」会員。「素馨」発行人。
 東京女子医科大学卒。内科医師。
 現代歌人協会会員。
 歌集『春の樹立』『風とシンフォニー』『えおりあの琴古志』など多数。

 石川恭子氏の四万十川百人一首は、第11番目の歌集『朝鶯』(現代女流短歌全集40)に収められている。
■土佐中村を訪れる・・・

 石川恭子氏と四万十川のかかわりは、平成4年、中村市(現四万十市)の夏季大学の講師として、東京からはるばる、土佐中村を訪れた時です。

 秋まさに、四万十川短歌全国大会が出発した佳日で、発起人の小谷貞広氏、小橋延夫氏らの案内で、四万十川の支流・後川源流の集落まで出かけています。その時、小さな渓流で、はじめて河鹿の鳴く声を聞き、大滝貞一氏選の「四万十川秀歌百選」に取り上げられた「河鹿の声の・・・」の歌が生まれています。

 また、中村市国見の橋田東声の生家にも立ち寄り、北見志保子が通ったであろう小高い丘の上まで続く細い道を逍遥、同じ女流歌人としての思いを歌に託しています。
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  東声の旧居は古りて遠き日の志保子の一すぢの道乾きたり

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[ひとくちメモ]

■歌集『朝鶯』(現代女流短歌全集40)

 石川恭子氏の「四万十川の一首」は、蜩亭の小谷貞広氏のもとに届いたものです。

a0050405_7131136.jpg 『陽春の候、益々ご清祥の御事とおよろこび申し上げます。追年は大変お世話様にあずかりました。折々御地をなつかしく憶い出だして居ります。

 お電話にて、お元気なお御声をうれしく存じました。「うたかた」御刊行後、益々ご清配の御事と存じます。

 さて、先般、四万十の歌を、というご要請の御手紙を、いただき、取り込み中にて、御返信が遅れまして、失礼を深くおわび申し上げます。

 小作は別紙の通りで、小集「朝鶯」に収めてございます。追年、御地にての作でございます。何卒、四万十川百人一首を編纂されている方に、御宜しく、お伝えくださいませ。(石川恭子)』

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[代表歌鑑賞]        「現代短歌大事典」より

  鳴く蝉に十日のいのち人間に三万日のいのちいづれか長き (『蝉坂』)

■いのち

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 医師である作者には、「いのち」を詠んだ歌が多い。

 花や鳥や蝉の「いのち」を、人間のそれと同じ重さで、自己と一体化して歌う。

 「十日」「三万日」と数時を用いたところに、科学者らしい説得力があるが、根底にあるのは、青春時代の戦争体験から生まれた思想である。(坂出裕子)


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[四万十川秀歌百選/大滝貞一]
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  土佐の国さやけく鳴れる瀬の音に河鹿の声のひそとまぎれず

 土佐の国というとやはり清流の瀬音が最も強く印象される。その川瀬の音にまじって河鹿の鳴き声は紛れることなく静かに響いている。河鹿は渓流に棲む小さい痩せた蛙で、背面は暗灰色または白色で、側面はやや淡黄色を帯びる。雄は石の上などでヒヨロヒヨロヒヒヒヒと清涼な美しい声で鳴く。「蛍あまた音なく光息づけり川の真闇はいかなるその世」という歌も並んでいる。(大滝)

【写真】武吉孝夫氏

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【写真】秋晴(岡村龍昇:写真集「自賛他賛」より)
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