第31首 山原健二郎 (本山町)
竹の火で焼くにが竹に手づくりの味噌そえて出す四万十の宿
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■にが竹
遊説の途中、四万十川の口屋内の沈下橋のたもとにある民宿に泊まった。その宿で出された「苦竹」はそのままでは、とても苦くて食せないというが、竹を焚く火で炙り、手づくりの味噌を添えただけで野趣の味がきわだつ美味しいものになっていた。
新緑の頃、地面にわづかに頭を出した筍を掘り出して、食すのは旨いものであるが、苦竹はかなり伸びたものを手折って収穫するという。秋の四方竹といい、筍も様々である。
【写真】武吉孝夫氏([四万十川秀歌百選/大滝貞一]より)
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[プロフィール]
大正9年8月高知県本山町生まれ。
新聞記者、高校教諭を経て、昭和44年に衆議院議員に初当選。
以来30年間、国政の場で活躍した。
歌集に「南の熱き炎」。
平成15年癌との闘病後、ご逝去。享年83歳。
焦がれきて峠に立てば故里に花は吹雪きて心なごむも
石鎚と剣をむすぶ新雪の四国連山におい立ちたり
【写真】佐藤直子氏(ブログ[のあめも]より)
山原健二郎氏は遊説などで、四万十川をたびたび訪れています。流域の農山村に、くまなく足を運び、民宿で地酒を酌み交わしながら、地元の人と語り合ったり、短歌を推敲することが楽しみだった、と闘病生活に入る前の、お元気な頃、高知市での行きつけだった名物居酒屋「とんちゃん」で、木訥と語ってくれました。
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[ひとくちメモ]
■山原さんの「とんちゃん」
紺屋町にちかづくと「とんちゃん」のにおいがただよってくる。その流れの源にすいつけられる。いくたびか喝と胃袋をいやしてくれたことか。人恋しくなるとふらりと吸いこまれる。
「豚足」が好きである。「銀なべ」はほとんど中毒。「泥がゆ」は栄養満点。「南極」とはよく言ったものだ。舌にひんやりとここちよい。
ここは豚の支配する世界だが、支配される人間もこの店の料理の一つになっている。昂然型、ボツネン型、活力摂取型等々が、「人間みな友人」というかまえで雑居している。
この雑居房に目で挨拶がくる。手があがってサインが送られ、ジンギスカンの煙の向うから盃がまわってくる。働く仲間たちがここに集まりトンと人にもまれ、活力を得てここから出てゆく。
ハリマヤ橋がコテコテとダメになった今、「とんちゃん」は新しい土佐の高知の風物詩である。(山原健二郎)
■山原さんからの葉書
コラムを活用していただきありがとうございました。とんちゃんにちかづくと「とんちゃん」のにおいがただよってくる。は長年の経験がないとただよってきません。高松慕真や五島良成さんの顔が目にちらつきます。土佐の風物詩でした。どうかこれからもがんばってください。ご健康を祈ります。ではまた。 五月七日 山原健二郎
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[文化遺産]
■タブの木
君知るや幡多初崎のタブの木の緑したたり蝉のしぐるる
四万十川百人一首に採用させていただいた山原氏の「にが竹の歌」は、大滝貞一氏による「四万十川秀歌百選」に選ばれている秀歌です。
この歌と山原氏の思い出については、高知市の名物居酒屋「とんちゃん」にまつわります。たまたま隣り合わせになった山原さんに「にが竹の歌」を、四万十通信がネットワークを組んでいた高知県幡多林業事務所の「メルマガ:四万十森林記行」第30号(四万十の文芸)に採用させていただきたい旨の、お願いをしたところ、後日、ご丁寧にも葉書で、その返事をいただきました。当時、葉書にしたためられた味わいのある達筆に、山原さんの誠実さを感じたものでした。
その葉書には、四万十川の短歌として、河口(初崎)の堤防の脇にある、大きなタブの木を詠ったものが添えられていました。(山藤花)
『私のつたない短歌を評価し、四万十の文芸に採用くださって、たいへん光栄に思っています。にが竹は、遊説中、西土佐村の口屋内の旅館ではじめていただき、その風雅な味におどろいた歌です。こころからお礼を申しあげます。また、先日は「とんちゃん」で声をかけていただき、ありがとうございました。「四万十森林記行」は郵送での配信を、お願いいたします。(山原健二郎)』
【写真】中嶋健造氏
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[こころのうた 四万十川百人一首]
【写真】岡村龍昇氏
by wakasin100s
| 2009-10-15 22:05
| 四万十川百人一首