第27首 中平松鶴 (十和村/現四万十町)

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      渡し舟竹の浮橋沈下橋今日成れりけり抜水橋は


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■橋の風景・今昔

 生家は四万十川の対岸にあり、橋を渡らなければならない。子どもの頃は渡し舟で小学校に通った。竹の浮橋は、冬の渇水期に孟宗竹の筏を幾層にも組んで、両岸から繋ぎ合わせたものである。

 増水の時は真ん中の結び目を切り、岸に沿って流したものだ。沈下橋が出来た時は、増水時にも流されず、水が引けば直ぐ渡ることが出来たのでありがたかった。

 時代の推移とともに橋の風景も変遷してきた。抜水橋という現代の橋が完成したが、橋のある風景は、そこに生活する人と共に移り変わっている。

(抜水橋というネーミングも、沈下橋の歴史があってこそのもの。新しい橋ができた事への嬉しさと、消えゆく古い橋への思いが伝わってきます。)

【水彩画】徳広淳也氏(大阪府・中村高校第一期卒業生)

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[プロフィール]

 大正12年11月高知県十和村生まれ。

 本名中平清晴。シベリア抑留を含めて兵役3年3ヶ月。県下の小、中、高校で教鞭をとり、その後四国女子大講師、高知女子大学講師。

 書家で硯田社主宰。産経国際書展理事、現日書道会同人、現代日本書家協会同人。県展書道部無鑑査(県文化賞、県展功労者表彰、文部大臣奨励賞)。「中平松鶴書集道程」。歌人でもあり、歌誌日月同人。歌集は「四万十川」を平成元年に出版、その他「土佐歌さんぽ(共著)」がある。平成21年9月10日ご逝去。享年85歳。


 「渡し船竹の浮橋・・・」の歌は、歌集『四万十川』の中の抜水橋を詠み込んだ歌群の中の一首。昭和62年に完成した小野大橋の完成記念碑に添えられている。

『いつも、何かとお気にかけていただきお礼申し上げます。体調不良で、失礼ばかりしています。記念碑の写真が出来ましたので、お送りいたします。

 この記念碑の歌は、「四万十川の橋の歴史を詠んだ歌」と、云ってくれた方があります。ありがたくもあり、嬉しい限りです。(中平)』

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[歌碑]
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【写真】中平松鶴氏(小野大橋開通記念碑/十和村<現四万十町>)
    記念碑は中平松鶴氏の自筆自作。

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[歌集]

a0050405_645951.jpg■中平松鶴歌集「四万十川」

◆私の郷里は・・・

 山を背にした60戸ほどの部落で、四万十川が半円を描くようにながれています。

 四万十川は腕白連にとっては、夏は天然のプールであり、冬の川原は凧上げやチャンバラの場所となり、四季折々、鮎、鰻、蟹、蝦などの漁を楽しませてくれました。

 私は入隊するまで、この麗しの郷土で生ひ立ってきました。いつまでもよき郷土であり、また四万十川が、名実ともに日本最後の清流であって欲しいと希ひ、歌集名を「四万十川」としました。

e0190619_15383315.jpg 私の少年の頃は父母をはじめ、部落の半数の30戸位が「仙花紙」といふ和紙を漉いていました。日に夜に手伝いをしたものです。

 歌集「四万十川」の表紙を郷里の、その「仙花紙」でとこだわってみました。手漉きの「土佐和紙」の暖かさで包むことができて満足しています。(歌集「四万十川」より)

【写真】四万十は日本一のたからもの(中平松鶴氏書)

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[四万十川秀歌百選/大滝貞一]
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 燕は朝早い。抜水橋の架かった四万十川に朝焼けが始まった頃には、もう燕が大空をさえずりながら飛び交っている。明確写実の歌である。(大滝)
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