第15首 北見志保子 (宿毛市)

a0050405_20405061.jpg


    岸のべの松は伐られて過ぎし日の面影くらきふるさとの川


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

■望郷

 幼い頃の記憶の中には、四万十川の岸辺には松が植えられていたのに、その松も伐り倒されて、遠い昔の印象が暗く沈んで何となく殺風景になってしまった。

 久しく離れていた故郷は、やさしく、美しいものばかりではなかった。やはり、故郷は遠きにありて、想うものでしょうか・・・。

【写真】大正15年建設当時の赤鉄橋。具同側の堤防には松林が見られます。地元では、松並木ではなく「並松」と呼んでいたそうです。(郷土史家:沢田勝行氏談、写真提供)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[プロフィール]

 明治18年1月宿毛市生まれ。本名浜あさ子。旧姓は川島朝野。明治39年上京、中国派遣教員養成所などで、国文学、北京語を学ぶ。大正2年に同郷の橋田東声と結婚し、「橋田あさ子」「橋田ゆみえ」のペンネームで歌を発表している。代表歌は「平城山(ならやま)」。

 「北見志保子」という名前は、大正14年に創刊した女流歌誌「草の実」時代から使用している。名前のいわれを、本人が同郷の歌人「国見純生」に語ったところによると、玄関に印刷屋が待っている間に即座に作ったものだそうで、たまたま台所に、北海道の北見から届いた塩鮭があったので思いついた・・・というから面白い。

a0050405_6303015.jpg

 山川よ野よあたたかきふるさとよこゑあげて泣かむ長かりしかな

 大正11年、東声と離婚。別離して奈良に滞在。このときに、後に平井康三郎によって作曲されて有名になった、北見志保子の代表歌「平城山(ならやま)」が生まれています。

a0050405_6362583.jpg フランス留学中の12歳年下の恋人を、はるかに思う気持ちを、平城山の故事に託して歌ったものです。『人を恋い慕う子持ちのどうにもならない悲しさは、平城山あたりを廻り歩いて堪えがたかった』と後に表白、そのときの心情を語っています。

『新しい女などと、お思い下さいますな。私は新しくはないので御座います。唯、「真理に生きたい」と思ふだけで、こんな冒険をしたのですから・・・』

 しかし一方では、この歌は、昭和9年11月母の七回忌で宿毛に帰る途中、奈良に立ち寄って作り、中村(現四万十市)で開かれた歌会で披露された、ということも云われています。

 披露した時期はともかく、やはり、この歌は離婚直後の奈良で、既に北見志保子の心の中には生まれていた、というのが自然の流れのような気がします。

 人恋ふはかなしきものと平城山にもとほりきつつ堪へがたかりき

平城山

 1934年(S.9)北見志保子の短歌に、翌年、平井康三郎(いの町出身)が曲を付けたものです。「もとおる」の意味は「廻(メグ)る」とか「徘徊する」です。

 古(イニシエ)も 夫(ツマ)に恋いつつ越えしとう平城山の路に涙落としぬ

a0050405_7502493.jpg


 大正14年、東声の弟子であった12歳年下の恋人「浜忠次郎(のちの千代田生命社長)」と再婚。昭和30年5月、70歳で没するまで、近代女流歌人の草分けとして歌壇生活を送りました。墓は浜忠次郎の故郷、信州諏訪湖の畔にあるという。

 第三歌集「珊瑚」は、ふるさと宿毛に近い月灘で採れた桃色サンゴを懐かしんで命名されたといいます。

 桃色は歌人にとって、不思議な色相の世界という。大方の歌人の命終に近い日の歌には、桃色、赤色、などが見えてくる、と言われています。夕陽は、あでやかな赤色に染まりますが、寂びしくて、哀しい色相です。

 北見志保子の絶詠5首が「花宴」に納められています。冒頭の一首は、死の数日前に見た夢の中の情景を、そばにいた友達に語り、それが歌になったもの。死の予兆を感じさせる心境、遺詠というのにふさわしい歌です。激動の人生をおくった女流歌人のまさに、絶唱。

  開かれし永劫の門を入らむとし植ゑし緋桃をふと思ひたり

a0050405_6594991.jpg
  真理に生きたい・・・

【写真】佐藤直子氏

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[ひとくちメモ]

■北見志保子と平井康三郎

作詞・作曲の組み合わせで、高知県下の幾つかの学校の校歌を作っています。

◆土佐女子中高校

 オレンジの花咲く国に
 誉れも高き学び舎に
 集う乙女の春秋の・・・

◆窪川高校

 山野に燃ゆる草若葉
 夢こそ育て春がすみ・・・

◆中村中学校

 三年の月日 ひたすら学ぶ
 誇りは永き 四万十や
 川にさばしる 鮎のごと
 かぎりを知らぬ すがしさを・・・
 
◆清水中学校

 海あり南に太平洋 
 北には四国の山おいて
 学びを誓う三年の 
 希望は自治の精神ぞ・・・

a0050405_9164086.jpg


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[代表歌鑑賞]     (「現代短歌事典」より)

 何事も忘れてゆかむ頂きにつづきてしろき山はらのみち

 23年、橋田東声と離婚。ひたすら新生への希いをこめて高野山に登ってゆく時の歌で、迷悟の跡がうかがわれる。(市川)

a0050405_6515322.jpg

【写真】小谷貞広歌集「うたかた」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[歌碑]

a0050405_6532418.jpg 〔宿毛小学校(宿毛市)〕

  山川よ野よあたたかきふるさとよ

    こゑあげて泣かむ長かりしかな


 〔宿毛公園(宿毛市)〕

  やまもものいろづくころとなりにけり

      よみがへりにし遠きおもひの

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[文化遺産]

■赤鉄橋
a0050405_5263752.jpg

◆堤防の松林は伐られている・・・。この松林は、若き坂本龍馬が四万十川改修工事の監督として四万十川を訪れたとき、昼寝をした場所として知られている。

【水彩画】徳広淳也氏(大阪府・中村高校第一期卒業生)
 『先日の小生の個展(「幡多路をめぐる旅の風景:徳広淳也水彩画展」17.10.24-29/ヨンデンプラザ中村・四万十市)、皆様のバックアップもあって、来客数が340人と、期待以上でした。ありがとうございました。お約束の四万十川の絵の写真をお送りします。貴兄の四万十川百人一首企画のお役に立てば幸いです。(徳広)』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[コラム] 高知新聞

e0190619_2391144.jpg

[PR]
←menu