第3首 土屋文明 (群馬県)

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    君がほこりし四万十川を今渡る冬の水満ち堤ゆたかなり


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■友が語った、四万十川・・・

 「君」というのは、橋田東声のこと。東京の「明星」時代、二人は同じ歌人として、交遊があったそうだ。おそらく東声は、酒を酌み交わしての席で、故里「四万十川」のことを誇らしく、また、熱く語ったに違いない。

 昭和39年の正月に、晩年の土屋文明がはるばる東京から、病み上がりの体をおして、中村市(現四万十市)を訪れています。

 何故、この時期に土佐の異郷の地を訪れたのかは、文献にも見当たらず、謎のままですが、おそらく、氏の心の中にあった悠久の大河「四万十川」を、自分の目で確かめたかったものと思われます。

【写真】小谷貞広氏

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[プロフィール]

e0190619_443619.gif 明治23年9月、群馬県生まれ。

 「アララギ」の総帥。
 芸術院会員。
 文化勲章を受賞。

 歌集「ふゆくさ」「青南集」等多数。
 平成2年12月、百歳にて死去。

◆四万十川には・・・、

a0050405_5473731.jpg 土屋文明氏は、昭和38年12月から翌年にかけて足摺岬を訪れた際、四万十川に立ち寄っています。その時、中村では、地元出身の歌人であり友人の橋田東声を偲んでの歌を詠んでいます。(「続青南集」に「土佐中村」と題して掲載。)

 前年に大病を患い「アララギ」の選者を降りていますが、何故この時期に、はるばる四国の果てまで遠出したのかは、文献にもなく、「謎」とするところです。

 四国の辺境の地「四万十川」を、何故、訪れたのだろうか?という疑問に、土屋文明氏の門下生という埼玉県に在住の大森孟氏からメールが届きました。

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[大森孟氏からのメール]

f0126949_1638102.jpg 土屋文明先生の随筆集「方竹の蔭にて」のなかに、『土佐の足摺岬へ行った時、その岬の根もとにある港が古いものでキヨミズ(清水)と呼ばれ記されて....』とあります。

 また、柏島では『土佐の柏島、伊予の柏崎には共にアコウがあり、地名はそれに因ると、私は実地に見た。』と出ています。

 つまり、古事記などに見られるように、神事に使うミツナガシワについて、「ミツナガシワ=アコウ説」を実証するために、柏を地名とする土地を訪ね、そこにアコウがあるかないかの実地調査をしたものと思われ、足摺岬を訪れたのも、万葉集研究の一端と思います。

【写真】柏島(足摺岬)の稲荷神社にあるアコウの大樹。

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a0050405_5454881.jpg 足摺へ向かう途中、バスで四万十川の赤鉄橋を渡る時・・・、

 同じ歌人として、知己の間柄であった、中村出身の橋田東声のことを、思い出しての、一首があります。

  中村と聞けば東声歌碑のこと思えへどバスの停車みじかし
 
a0050405_5261543.jpg 『君(東声)がいつも誇っていた四万十川を、今渡っているが、冬の河水が満ち溢れ、雄大な堤が続いている。まさに四万十川は君が言うとおりの雄大な大河だ。バスの停車時間が短く、中村高校にあるという、君の歌碑を見に行くことが出来ないのが心残りだ・・・』

【写真】東声歌碑(中村高校/中村市・現四万十市)

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[代表歌鑑賞]     (「現代短歌大事典」より)
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  終わりなき時に入らむに束の間の後前ありや有りてかなしむ

 妻への挽歌。時に92歳。初期の相聞歌からこの挽歌まで、文明には妻を歌った歌が数多くあるが、これはその中の絶唱ともいえる一首。永劫の時間の流れからみれば人間の死の後先等問題でないとわかってはいるのだが、生き残った自分としては、その束の間の差がかなしいと歌っている。(大島)

【写真】声あげて泣かむ。
 開かれし永劫の門を入らむとし植ゑし緋桃をふと思ひたり(北見志保子)
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